高瀬塾長の半生と"自立学習"発見の物語

中学校時代

恩師との出会い

私が自立学習と出会ったのは、中学生時代まで遡ります。

当時お世話になった理科の先生に指名されて、実験に参加する中で、不思議な理科の世界に引き込まれていきました。そして、先生のことも大好きになりました。

 

子どもというのは、ある種現金なもので、先生のことを好きになると、その先生の授業に情熱を注ぐようになるのです。私は大好きな先生の授業の前には、必ず教科書を読むようになりました。予習というものです。教科書を読むようになってから、実験の意味が劇的によく分かるようになり、成績が急上昇したのは、今でも鮮明に覚えています。

その時味わった感覚

しかし成績が上がったことは私にとってそれほど重大なことではありませんでした。私は何よりも「集中して勉強することの楽しさ」に興奮を覚え、幸せを感じ、その味を締めたのです。

中学時代の高瀬先生・塾を仕事にする出来事があった
中学時代の高瀬先生

これが自立学習のルーツです。

大学院・ベンチャー企業立ち上げの時代
大学院・ベンチャー企業立ち上げの時代

大学院・社会人時代

ベンチャー企業の立ち上げ

地元北海道の帯広三条高校を卒業した後、上京し東京理科大へと進学し、更に大学卒業後には東京工業大学大学院に進み、そこでセラミックスの超微粒子の研究をしました。

 

無事工学博士の称号を取得した私に朗報が飛び込んできました。超微粒子についての記事が日経新聞に掲載され、多くの企業に注目するようになったのです。そして私のもとに共同研究と企業化の話が舞い込んできました。私はこの時代の波に乗り、ベンチャー企業を立ち上げようと意気込みました。

生活の為の塾

ベンチャー企業の立ち上げ当初は、収入がほとんど無く、私には副業で生活費を稼ぐ必要がありました。当時、たままたご縁があって教えていた高校生の成績が劇的に上がり、私は勉強を教えることを副業にしようと考えました。

塾を立ち上げて無料のミニコミ誌に宣伝を載せたところ、6名の高校生がやってきてくれました。それが、半年後には40名もの生徒を抱えることになろうとは、この当時の私には知る由もありませんでした。

 

ベンチャー企業の話は、なかなか軌道に乗らずに立ち消えてしまいました。

それもあり、私は塾という仕事を本業にすることにしたのです。塾を生涯の仕事にするように運命が導いたとしか思えません。この塾が35年もの歴史を刻むマイジャイロとして成長していくことになるのです。

 

 

 


自立学習の確立

教えても伸びない子がいる

塾を開いた当初は、家庭教師が勉強を教えるように生徒たちを指導していました。

大半の生徒はこの方法でも成績が申し分なく上がりました。しかし、中にはどうしても成績が伸びない生徒がいました。彼らに共通することは、集中力が他の生徒と比較して低い傾向にあり、落ち着きが足りないという点でした。彼らにも成績が上がる快感を味わってほしい、達成感や自己肯定感を享受してほしい、気付いたら私はそう考えるようになっていました。

 

 

自分でやらせればいいのだ

その時、私の脳裏に突如として中学生の頃の記憶が蘇ってきました。

大好きな先生の理科の授業の予習として教科書を読み込んだ時のことを思い出したのです。

 

そうだ、この方法なら…!

 

私は確信しました。

 

先生が教えるのではなく、自分で教科書を読む力を身に着ければ、学習の楽しさに気付き、集中して勉強に取り組めるようになるに違いない、と。

 

これが私が提言する自立学習誕生の瞬間でした。

 

 

分からない子ほど教えたい

閃いた私は、猛烈に研究をしました。

そして自立学習のメソッドや、指導法を磨き上げていきました。

 

「分からない子ほど教えたい」というキャッチフレーズを掲げ、あえて勉強が苦手な生徒を集めて教えながら、指導法の研究に尽力しました。

 

 

こうして、私の自立学習の指導法が確立したのです。

自立学習と言う言葉は当時なかった

 ちなみに「自立学習」という言葉は1986年当時は存在していませんでした。

「塾とは教えるのが仕事、自分で教科書を読ませるなんて塾の先生の飯の食い上げだ」と言われてしまうような風潮でした。その後10年ほど経ち、明光義塾で自立学習と言う言葉が使われ世の中に広まりました。

 

自立学習の指導法を確立してから、長らく「分からない子ほど教えたい」というスタンスを掲げて参りましたが、そのうちに「この方法をできる子にも適用すれば、その子の学力はとんでもない伸び方をするのでは…」と考えるようになりました。

こうして、受験生や、更に上を目指す向上心のある生徒を対象として自立学習の方法を教示するようになりました。

この考えは実に素晴らしいもので、様々な奇跡が起きたのです。 

指導の難しい「できない子」を教え、指導技術が向上
指導の難しい「できない子」を教え、指導技術が向上

普通の子に奇跡が起こり始める
普通の子に奇跡が起こり始める

奇跡的成果の記録

 

高校2年生で学年ビリだった子が1年浪人した後慶應義塾大学に合格したり(ビリギャルの男版といわれています)、小学生で一度学力が大幅に下がってしまった子が盛り返し、慶應中等部に合格したり、他にも多数の実績を残すようになりました。

 

~成果の例~

 

* 小5 四谷大塚 A Cコース 慶應中等部 合格

* 高校2年で学年ビリ、1年浪人して慶応義塾大学に合格

 

 

これが、私と自立学習の出会いと軌跡です。

そして今、新型コロナウイルスの渦中にあり、自宅学習が推奨される世の中で、新たな道としてオンラインライブ授業を始めるに至りました。

 

私の挑戦はまだまだ続きます。

 


高瀬 光寛 略歴

 

北海道帯広出身。

帯広三条高校、東京理科大学、東京工業大学大学院卒業。

大学院にてセラミックスの超微粒子を研究し、ベンチャー企業を立ち上げようとするも、起業した当時に副業としておこなっていた塾にて成功をおさめ、塾を本業とすることに。

他の塾には無い自立学習の指導により、本当の意味での生徒の学力向上を目指す。

現在、横浜の青葉区と都築区に3つの教室を展開。